2017年11月18日土曜日

アパラチアントレイルの「リッジランナー」(トレイルの話)



2010年、ATを歩いていた時の話。自分は「リッジランナー」に会った。
これは日本人としてはかなり貴重な体験と思われる。なぜならアメリカ人でもそれが何なのか、ほとんどが正確には知らないからだ。ハイカーなら知ってるかというと、結構みんな分かってない。「リッジランナーってのは、ATにのみ棲息する特殊な生き物で・・・」というのは、ハイカーの定番ジョークの一つでもあったりするのだが。名前だけは聞いたことがある、くらいが普通だと思う。
その時はとあるシェルターに一人きりで泊まったので、自分は屋内にハンモックを吊ったのだった。朝食後ゆっくりお茶を飲みながらグズグズしていたら、突然若い男が1人「ハーイ」と入ってきてシェルターをぐるっと回り、ゴソゴソとあたりをいじったりし始めた。そのうち彼は自分のところに来て、こりゃ初めてみた、面白いね!と話しかけてきた。まあね、オレは時々やるよ・・・と返して、一瞬止まってしまった。そのままハンモックの話をしても良かったのだが、好奇心が抑えられなかった。
「それで、キミは?」
「ああ、ボクはこのシェルターをチェックしに来たんだ。邪魔したならゴメンね」
「いや、そんなことは全然ないけど・・・キミは、もしかして『リッジランナー』?」
「そうだけど」
「そうか!いや、自分は日本から来たんだけど、トレイルのことにいろいろ興味があってね。すまないが、いくつか質問しても良いかな?」
彼は笑いながら「いいよ!なんでもどうぞ」と言ってくれて、しばらく床に座って質問攻めにさせてもらった。ちなみにリッジ(Ridge)というのは尾根・稜線のことで、山の尖って続く部分を意味する。
ATのシェルター。ハイカーたちは、日常的にこの小屋に寝泊りする

彼によるとリッジランナーの仕事は、トレイルやシェルターの現状をチェックするために「毎日歩き回る」こと。修繕作業は含まれていないという。所属は地元の「マウンテン・クラブ」だが、彼のギャラは元をたどればATC(アパラチアン・トレイル・コンサーヴァンシー。AT評議会)から出ているらしい。
アメリカらしく労働条件が決まっていて、月に20~22日山に入ることになっている。週に5日を4週でもいいのだが、まとめて働いてまとめて休んでも構わない。ちょうど先月、連続2週間の休みを取ったばかりだというから何をしたのかと尋ねたら、隣の州に前から行きたかった山があり、そこを彼女とハイクしてきたらしい。ビョーキだ。
それはともかく、トレイルの崩落や倒木、シェルターの現状についての彼の報告は地元のクラブに行き、そこから業者なりボランティアなりによる補修の計画が立てられる。彼自身は、誰(どの団体)がトレイルを直したりしているのかよく分からないそうだ。ATは1本のロングトレイルだが、ローカルトレイルの集合体でもある。ATCはよくアメリカ最大のハイカー組織と揶揄され、他団体に比べてはるかに潤沢な資金と人員を持つが、ローカルなトレイルの管理は現地の団体に任せているという(コレはATCの事務局で教えてもらった)。各団体を統括するのがATCの役割なのだが、場合によっては直轄型のトレイルメンテナンスなどもある。リッジランナーは担当のエリアが決まっているが、彼自身あんまり細かいことは気にせず、多少はみ出したりして歩き回っているという。所属のクラブ、隣のエリアを受け持つクラブ、ATCのどれが出てくるかは「考えたこともないね」だそうだ。
リッジランナーはAT独自のシステムらしく、多くのハイカーが「他所では聞いたことがない」と口を揃えていう。ここで当事者に確認したのだが、本人も正確なことは知らなかった。アメリカとはいえ、日常的に見回りが行われているロングトレイルがそれほどあるとは思えない。全米一の人気を誇るATならではだろう、と意見が一致した。
彼はまるでトレイルランニング用のような、小さくて細長いバックパックを背負っていた。見た目で30リットルくらいか。シェルターの場所と、そこまでかかる時間を完璧に把握しているので、テントは持っていない。夏場だったのでマットも寝袋も持たず、夜はスリーピングバックカバーだけをひっかぶって寝る。毎日1ポンド(約450g)ほどの食料を食べ、だいたい4~5日続けて山で過ごす。悪天候なら山には入らない。
当時のATはウルトラライターがほとんど見られず(1度ブームが来て過ぎたあとだった)、たまに現れると周りから珍獣扱いで質問されていたりした。だから彼は自分が半年間ATを歩いて見た中で、最も軽量な装備で山に入っていた人物だと思う。袖がちょっぴりしかない小さなTシャツ、腿の付け根ぎりぎりまでのクラシックな短パン、くるぶしが見えるほどショートな靴下(インビジブルとかノー・ショウなどと呼ばれる)にランニングシューズという、身につけるものも極限までそぎ落としたスタイルだった。
アパラチアントレイルの、倒木を処理した跡。撤去ではなく通路だけ確保されたものがしばしば。
ATのサインが刻まれていることもあり、遊び心が見られる

 25歳だという彼に、最後にちょっと意地悪な質問をしてみた。
「将来とか、どう考えているの?」
すると彼は
「将来・・・?」
と、不思議そうに聞き返してきた。
「いや、なんて言うかさ。不安とかないの?ずうっとリッジランナーやるつもり?」
「不安って・・・特にないねえ。ボクはこの仕事、気に入ってるよ」
そう言うと彼は外の景色に目をやってシェルターの壁に背をもたせ、幸せそうにほほ笑みを浮かべた。
アウトドア大国のアメリカでは、多くの若者が「アウトドアを仕事にする」ことを夢見るという。彼はやや特殊な形ながら、その夢を実現してしまったのだ。彼は自分の現状に、心から満足しているようだった。


2017年11月4日土曜日

2017シーズン個人面ざっくり振り返り

帰国しました。
今年(2017年)は4月半ばから10月半ばまでをアメリカで過ごし、前半にヘイデューク・トレイル、後半にパシフィック・ノースウエスト・トレイル(PNT)を歩きました。

ヘイデュークは800マイルということになっているけど、そもそもあんなにクロスカントリーが多くて距離なんかカウントできるのかという話はともかく、ショートカットしたり、寄り道して長くなったりして、本線より短かったことはない。最後に40マイルほど余計に歩いて国立公園を出たので、自分の距離はトータル800から850マイルと言えるかなと思います。

一方PNTでは山火事回避でバスを使ったり、ロードウォークが長すぎるところでヒッチしたりしてかなり短くなった。公式には1,200マイルちょっとあるはずですが、自分の歩いた距離は約1,100マイルか、もしかするともう少し短いかもしれない。

ヘイデューク・トレイルは、クロスカントリーが異常なほど多かった

合わせると、今シーズンはロングトレイルを約1,900マイル、メートルでいうと3,000kmちょっと歩いたことになります。これで、自分のトレイルマイルは14,500マイルくらい。2万3,000kmを超えるトレイル経験の全てがアメリカで、これだけアメリカのロングトレイルを歩いた日本人もちょっといないでしょう。特に今年は、普通の日本人なら絶対やらないようなハイクも経験しました。理解してくれる人間はほとんどいないので自分で自分を褒めていますが、今期は異常なほどクロスカントリーを歩いたこと、アメリカ南部の乾燥地帯をたくさんハイクしたこと、海岸歩きを経験したこと、3大ロングトレイル以外にもフィールドを広げたこと、そのトレイルが現地にもほとんど知られていないエリアを歩いたことなど、個人的になかなか濃いシーズンだったと思います。
 
ギアを含めたスタイルについては、ほぼ通期にわたって乾燥し雨がほとんど降らなかったので、真夏のシステムを存分にトライ。ヘイデュークではタープ、PNTではタープ+ハンモックで過ごしました。ついでに、ヘイデュークがあまりに苛酷だったので(笑)、PNTではまだ暑い時期からしっかりしたブーツを履いたのですが、コレがハマって、例年より良い足の状態を保って帰国できました。歩く距離も控えめにしたし、雨も少なかったので一概には言えませんが、ここ最近の自分は夏に軽めの靴を履く事が多かったので、ちょっとまたスタイルを変えていきたくなっています。これからは夏に、軽めの中でも丈夫な…難しいですが。

パシフィック・ノースウェスト・トレイル(PNT)には、ビーチウォークのパートもあった


自分がここ数年、毎年のようにハイクに行くことについて「アメリカのロングトレイルに取り憑かれている」などと言われることがあるようです。他人にどう言われようと知ったことじゃあないというのが自分の基本姿勢ですが、それにしても分かっちゃいないなあと思います。

自分はちょっとした人生の成り行きの結果、いちご農家が知り合いに何軒もあるのですが、彼らは繁忙期になると毎日毎日収穫して、パック詰めして、出荷するという生活を送ります。時には夜明け前の真っ暗な時間から、ひどい人(ひどい、という表現が適当かどうかはともかく)になると、夜中の2時から収穫を始める。ほとんどの家は夕方に農協へ出荷するのでそれまで働き続け、そのまま「ひどい人」はパック詰め作業のためのプレハブに泊まりこみます。労働の量だけ考えると完全に働きすぎなのですが、身体の心配こそすれ、それを「いちごに取り憑かれてしまっている」という言い草は聞いたことがありません。

いちご農家は借金してビニールハウスを建て、資材や道具を揃え、春から苗を育て、土を作って植えつけ、肥料をやり水をやり、温度調節を日々繰り返し、消毒し、ハチをハウスに入れて受粉させ、出荷先を確保し・・・・・・秋も終わりになってようやく出荷が始まります。それまでに注ぎ込んだものが、ようやく収穫・出荷で報われるわけです。手を伸ばせばもぎ取れる、確かな実りが目の前にある。それはまた、自分のやってきたことが間違っていなかった証拠でもあります。ここで突っ張らずにどうすんだ、という気持ちは良く分かる。休むのなんか、旬が過ぎてからでいいんです。

自分はもうアメリカの、ほとんどのロングトレイルは「出発前日に準備したって平気」なレベルまで経験を積んでいます。そもそもハイクって、そんなに難しいもんじゃない。誰だって、農協のカレンダー通りにスケジュールをこなしていけば、旬が来ればいちごが採れるんです。 たくさん実らせる、大きく甘く実らせるには色々ワザがある(と多くの人が言う)けれど、一度農家になってしまえば、収穫までこぎつけることはもう想定できるんです。そしてアメリカには、魅力的なロングトレイルがまだまだある。自分もいつまで身体が自由に動くか、いつまで社会的に自由でいられるか分からない。今が旬なんです。手を伸ばせば届く、赤く熟そうとしている実が目の前に大量にぶら下がっているんです。突っ張れるだけ突っ張り通すしかないでしょう。



自分個人の話とは別に今年は一つ、どうしても避けては通れない話があります。1人の日本人PCTハイカーが、シエラネバダで亡くなったのです。

実はもう1人、 アジア系のPCTハイカーが同じエリアで亡くなっています。このほかに南カリフォルニアの乾燥地帯で亡くなったアメリカ人もいて、まだ行方不明のハイカーを除くと、スルーハイカーとして周囲に認知されていた中で命を落としたのはこの3人だけです。

これは非常に大きな問題です。つまり、日本そしてアジアにに向かって発信されている「アメリカのロングトレイル」、もっとはっきり言えば「スルーハイク」は、根本的に間違って届いてるかもしれないのです。

これはまた別に書かなければならないのですが、スルーハイクを良く知らないメディアは、それを一種の「超人レース」のように表現しがちです。歯を食いしばってゴールを目指し、破れた者は涙をこらえて撤退する。そんなロマンチシズムはウソなのだと、実際に歩けば普通は気づくのですが。それは受け手の問題でもあります。ハイクのスタイルは人それぞれだから、個人がスルーハイクをどう考えようと自由です。 問題は「急げ」という忠告を拡散する人たちがいることです。

アウトドアにおいて、自分のキャパ以上の行動をせよというのは「命をかけろ」というのに等しい。だから「急げ」は完全に間違っています。ハイクは遊びだから、どんなに長かろうと命がけになるはずがない。第一、スルーハイカーは必要に応じてトレイルの区間をスキップします。そんなレースなんてない。どうしても「スルー」を達成したければ、自分の歩ける距離に合わせてスキップしろというのが正しいはずです。

亡くなった方に何が起こったのか、実際には分かりません。しかし、アジア人だけが2人もシエラで命を落としたというのは、アメリカでも一定の傾向として受け止められていると感じました。
「誰かのブログを読んで情報収集」が当たり前の時代に、発信してしまっている側として、誤解を広めることに抗っていかなければならないと思います。日本にも、ささやかながらハイカーのコミュニティが存在します。していると思います。今回の事故で、みんな大きく傷ついた。二度とこんなことが起きてほしくない、と強く思ったシーズンでした。