2016年9月27日火曜日

『フリップフロップ』、『ヨーヨー』~用語に見るATとPCTの文化 +鉄人の伝説

アメリカ西部のPCT(パシフィッククレストトレイル)は比較的アップダウンが少なく、東部のAT(アパラチアントレイル)とは一味違った歩き方をするハイカーもいる。



スルーハイク、つまり1シーズン(春から秋まで)でロングトレイルを端から端まで歩くという手法は、いくつかの特殊な進み方を生み出した。
代表的なのが『フリップフロップ』だ。これは特にAT(アパラチアントレイル)で発達した方法で、図にすると(雑ですが)下のようになる。

ATで最も一般的なフリップフロップ。まず南端から中間地点までハイクし、次に車や公共交通機関で北端に移動して、最後に北端から中間地点までハイクする。ちょうど中間の町ハーパーズ・フェリーには駅があり、交通の便が良い。

 なぜこんなことをするのかというと、スルーハイクは長期間にわたるので、季節とどう付き合うかが問題になるからだ。南端から歩き始めるのは、当然雪解けが最も早いから。北端より2ヵ月くらい早く歩き始められる。そして真夏に北端へ移動すればかなり涼しいし、南下してくると中間地点は北端より1ヵ月ほど雪が遅い。単純に北上すると「雪解けから積雪まで」はだいたい6ヵ月くらいだが、フリップフロップにより7ヵ月くらいはトレイルを楽しめる。一応書いておくと、ATはそれほど標高が高くない(最高地点で2,000m強)が、半年も歩くと一回や二回は雪に見舞われることもある。それでも本格的な雪の季節を外し、快適な気候を長く楽しめるということで、スタートからもうこの手法を使うつもりのスルーハイカーが毎年現れる。
さらに、歩いているうちに「どうも自分には6ヵ月で全行程を歩ききれそうもない」と思うハイカーがだんだん増えてくる。ここで面白いのが、ATの北端であるマウント・カタディンは州立公園の中だということだ。この公園Baxter State Parkは入園者を厳しく管理していて、毎年10月中旬には閉鎖してしまう。このまま北上すると閉鎖までに到達できそうもない、と思ったハイカーたちは、交通アクセスのいい場所や、ふさわしいと思える場所から「フリップ」する。そこがゴール地点になるのだ。

ハーパーズ・フェリーには、AT全体を統括する団体ATC(Appalachian Trail Conservancy)の事務局があることから、ゴールにふさわしい地点としてよく選ばれる。



さて、PCT(パシフィッククレストトレイル)には、ATとはまた違った形で進むハイカーたちがいる。地図には上手くはまらないので模式図にすると下のようになる。カリフォルニア南部のモハヴェ砂漠は暑いから後回しにして、他の区間を先に歩いてしまうのだ。
典型的なPCTのフリップフロップは砂漠区間を後回しにするのが目的。進む向きをコロコロ変えるハイカーもいる。

砂漠部分は長く取ってもせいぜい2週間だが、秋の涼しい時期に歩くことにして、その分カナダ国境への到着を早くする。
ここで東西の文化の違いが出る。多くの「ATを知らないPCTハイカー」が、この行為をフリップフロップと呼ぶのだ。するとATハイカーから「ちょっと待て。そいつは『ヨーヨー』と言うんじゃないか?」とツッコミが入る。用語の使い方が違うのだ。
北端に季節の期限を持つATでは、先に北部を済ませてしまうことが大事だから、どうしても前半と後半で向きが逆になる。 だから、ATでも先にある区間を歩いて「行ったり来たりする」ハイカーもいるが、少数派だし別の行為と考えられる。Flipという言葉には、トランプなどのカードを「ひっくり返す」という意味があるのだ。
一方のPCTでは、北端に着くのがいつまで、というような期限はない。むしろ、砂漠を飛ばして北端から南下すると、秋ごろに中央カリフォルニアでシエラネバダの高地を歩くことになる。こっちを夏に歩いたほうがいい。「途中で向きが逆になる」ハイカーはいても少数派で、「行ったり来たり」とひとくくりにしてフリップフロップと呼んでしまうのだ。

だが、片方が少数派だからといって、なぜPCTでは「行ったり来たり」をヨーヨーと呼ばないのか?そこには驚愕の理由があった。年にせいぜい1人や2人くらいだが、PCTには1シーズンに「全区間を往復する」というハイカーが現れる。コレをヨーヨーと呼ぶから、その言葉はもう使えないのだ。

PCTでは「スルーハイクの往復」がヨーヨーと呼ばれる、という状況を決定付けた男がいる。スコット・ウィリアムソン(Scott Williamson)がその人で、彼こそが人類史上初めてPCTを1シーズンに往復して見せた人物だ。PCTスルーハイクのスピードレコードを何度も更新している彼はまた、「サポーテッド」「アンサポーテッド」という言葉を生み、その概念そのものを定義づけた人間でもある。つまり記録を目指してスルーハイクするとき、他人からの助けをどこまで受けていいのか、という基準を考え出したのだ。彼自身はアンサポーテッドが好みで、トレイルが道路にぶつかると、近くの街まで自分の足で歩いて行く。道路部分だけ車に乗ったりはしない。そして、あらかじめ自分で送っておいた食料を受け取るのだ。街のスーパーで買い物をしたり、レストランで食事をしていいかについては今日若干の議論があるが、何カ月分もの食料を背負える人間は存在しない中で、郵便・宅配便だけはOKということにして全て自力で用意するというスタイルを確立したのだ。偉大なる先駆者である彼は、一部のハイカーたちからは神のごとく敬われている。
2013年、スコットは「またスピードレコードに挑戦する」と宣言し、自身14回目のPCTスルーハイク(!!!!!)をスタートさせた。ここ何回かで定着したらしいカナダ国境からメキシコを目指す(サウスバウンド)向きで、もちろん「アンサポーテッド」だった。ネットに顔出ししない彼の動向はつかみづらいが、PCTハイカーたちはウワサで「神」のタイムと位置を共有し、SNSなどで盛り上がった。彼は順調にセクションを進み、中間地点に自己ベストのタイム(たしか31日とちょっと/約2150km)で到達した。ファンのコーフンは絶頂に達し、誰もが記録更新を期待した。
その直後、スコットは体を壊して入院した。 なんちゅうかもう・・・という感じである。幸い、生命に関わるようなことはなかったそうだ。ファンを安心させるためというわけでもないだろうが、彼は2014年にあらためて14回目のPCTスルーハイクをして見せた。このときは記録に挑戦するという宣言はなく、それでも常人よりはるかに早くゴールしたらしい。スコットは先を急ぐばかりでなく、「ここは分かりにくいが水場がある」というようなトレイルの情報をガイドブックにたくさん投稿しているし、出会うと結構気さくに一緒の写真に納まってくれたりするそうだ。アップダウンがATより少なくスピードが出やすいPCTに個人の力で独自の文化をもたらし、それはトレイルの地位向上にもつながっている。愛すべきキャラクターだと思う。

PCTの「ミッドポイント・マーカー」。現在は正確な中間点ではないが、多くのハイカーが行程の目安とする。こちらの面には「CANADA 1325 MILES」とある。








2016年9月12日月曜日

初めてのナイトハイク

2010年、ATを歩いていた時の話。
たしか15時を少し回った頃、自分はトレイルの分かれ目に差し掛かった。右に数百メートル行くとシェルターがあるはずだ。まだ泊まるには早いが、水場がある。ちょっと寄るかな、とそっちへ行ってみた。
シェルターに近づくと、にぎやかというか少し騒々しいくらいの声が聞こえてきた。自分のように長距離歩いて通過中のハイカーではなく、地元の若者が遊びに来ているようだった。だが、聞いたような声が混ざっている。
木々の向こうに人影が見えてきて、思わず声をかけながら踏み込んだ。「なんだ、お前らもう戻ったのか!」
知らない、そして小ざっぱりした格好の若者たちにまぎれて、仲の良いスルーハイカーたちがいたのだ。モーホーク、ホットウイング、ヘミの3人で、ヤツらとは2日前に別れたばかりだった。
アメリカのホテルにはダブルベッド、それもクイーンとかキングサイズのでかいやつを2台入れた部屋が結構あり、4人いるとシェアして安く泊まれる。もちろん、仲良く1台のベッドに2人ずつ寝るのだ。これが定着してきて、ここしばらく我々は4人でまとまってハイクしていた。
が、そのとき彼らは突然トレイルで
「ここから街に降りる」
と言い出したのだった。前日にちょっと道路と交差した時、食料は補給できたのだが、どうもそれでは不満だったらしい。
「街って、この右上の?どうやって戻るんだ?」
と自分は地図を指して聞いた。地形から考えると、それはかなり無理があった。
「街から北に出る道路がある。そこからローカルトレイルを使ってATに戻るさ」
とモーホーク。確かに、地図を見る限りそれは可能だ。だけど・・・
「20マイル以上スキップすることになるぞ」

自分はこの時期、ハイクのスタイルについて少々悩んでいた。せっかくアメリカまで来て、憧れのATを歩いているのだ。こちらとしては、ATを1メートルたりとも飛ばしたくはない。ところが仲の良いハイカーたちはみんな、あっちが面白いとかココは大変だとか言って、平気でルートを変えるのだ。
トレイルを純粋に楽しんでいる奴らを見て、自分の考えがつまらないこだわりに過ぎないのではないかと疑い始めた頃だった。

「街に降りられるんだ。そのくらい良いさ!」
「お前はどうするんだ?」
と、実に楽しそうな顔で言ってくる彼らに心が揺れたが、そこは自分を貫いた。
「なあ、オレは日本からわざわざATを歩きに来たんだ。サイドトレイル(横道)や道路を歩きに来たんじゃあない。食料は十分あるし、このまま進むよ」
そうか、分かるよ、と言うと、モーホークは地面についていたトレッキングポールの先を少し浮かせてこちらに向けた。ん?と思ったが、すぐに察して自分もポールを向け、互いの先端の少し上をガチンと打ち合わせた。拳を打ち合わせる挨拶の代わりだ。こういうノリが合うというか、説明無しでも意図が通じるところが、ヤツらとつるんでいた理由だろう。寂しくなるな、と思いながら自分は一人で先へ進んだのだった。


だから、再会は素直にうれしかった。若者たちにスルーハイクを自慢していたらしい3人に街の様子などを聞き、水を汲みに来ただけのはずがすっかりこっちも休憩モードだ。
ビールいるか、とモーホークが聞くので、もちろんと答えて即座にもらう。ビールは重い。入山したら即消費、が我々の鉄の掟だった。遠慮は無用だ。
「ちょっとキャンプには早いんじゃないか?」
と缶を開けながら確認してみる。一緒に歩きたいから、予定を知りたかったのだ。
「ああ、ちょっと”プラン”があってな」
と、ビールを飲みながらモーホークが言う。
「プラン・・・?」
自分もぐびりと飲む。もう、すぐ歩くつもりはない。
「オレたちこれから少し寝て、そのあとナイトハイクするんだ。一緒に行くか?」

チャンスだ!
自分はナイトハイクをしてみたいとは思っていたものの、外国だし何があるか分からないし、と尻込みしていたのだった。 最高のタイミングだ。
「いいねえ行かせてくれ!言っておくが、オレは夜歩いたことはないんだ。リードしてくれ」
 そうかそうかと3人は盛り上がり、自分も加わってシェルターに泊まる若者たちに「スルーハイクという大冒険」の自慢話をひとしきり聞かせてやった。そしてそのへんの地面にマットを敷いて寝転がり仮眠を取った。起きたのはもう23時近くだ。
 
寝静まったシェルターに気を使い、そろそろ行くかとささやき合って4人は移動した。ATに着いた(自分にとっては「戻った」)ところで改めて荷物を背負いなおし、ヘッドランプをつけた顔を突き合わせた。
「OK。ユー・ガイズ、レディ?」
「ヤー。レッツ・ゴー!」
「ライドオン!」
「ロックンロール!」
威勢よく声をかけあって、まずはタフなホットウイングが先頭を切った。モーホーク、ヘミと続き、初心者の自分はしんがりを務めた。というかついて行くのみだ。

歩き始めてしばらくすると、モーホークが立ち止まった。ヘミはそのまま追い抜き、自分は追いついたところで止まって聞いた。
「どうした?」
「ロックス(石だ)」
と言ってヤツは立ったまま靴を逆さに向け、小石を出す姿勢を取った。暗いから石が落ちたのかは見えなかった。もしかすると、ヤツは遅れがちな初心者に気を使って、ペースを落としてくれたのかもしれない。このあと、前の2人と少し距離が開いたが、自分はモーホークと声を掛け合いながら進んだ。
気がつくと月が出ていた。ちょうどトレイルが東を向いていたので、我々は月に向かって歩くのだ。さやさやと風が梢を揺らす音、遠くから響く鳥の声が、小さいのにやけにくっきりと耳に届く。新鮮な体験だった。
前2人が休憩で座っているところに追いつき、どうする?という話になる。もう真夜中を過ぎていたが、体力的にはまだ行ける、となった。やってみて分かったのだが、自分は目が悪いこともあり、暗い中を歩くと地面に確実に足が下ろせず、少し高い位置から探るような気持ちで踏み下ろすようになる。コレが結構体力を使うし、地面の高さを読み違えるとドスンと足を落とすことになり、あまり長時間歩くと痛めてしまいそうだった。オレは2時くらいまでならいいかな、でも5時までとかは無理だと伝えておく。無理は禁物だ。
スナックと水を補給して再出発。トレイルは茂った森に入り、向きも変わったようで、月は時々見えるくらいになった。
トレイルの分かれ道があった。すぐ近くにシェルターがあるのだ。ヘッドランプで照らすと壁が見える。昼間に寄ったところと違い、こんなにAT本線に近い場合もあるのだ。我々はもっと進むと決めたばかりだったから、全員黙って通り過ぎた。寝ている人もいるかもしれないし、なるべく静かに・・・
と思ったら、突然
「ワワワワワオン!ワンワンワン!ワオオオオーン!」
と犬の鳴き声が響き渡った。思わずビクッとなる。何しろ真夜中だ。とにかく驚いた。
しかし、もっと驚いた人がいたらしい。今度は人間、おそらく男の絶叫が
「ア゛ア゛ア゛ア゛オオオオアアアアーーーーーア!!アアァァアーーーーッ!アアアオア!アアッ!」
ときた。闇を切り裂いて、という表現があるが正にそんな感じ。自分はあれほどの恐怖に満ちた叫びを、どんなサスペンス映画でも聞いたことはない。聞いたこっちの心臓まで止まりそうだった。
我々は思わず一瞬立ち止まり、小声で
「ヤバい、逃げろ!」
と言い合って早足でそこを去った。
歩きながら驚きの動悸が治まってくると、だんだん笑いがこみ上げてきた。見ると、前を行くみんなも明らかに笑ってる。
いい加減進んだところで、トレイル脇に平らな草むらがあった。誰が言うともなく足を投げ出して座り、顔を見合わせてクスクス笑う。そのうち、声を上げて笑ってしまった。
「ヤツは死んだな!」
とホットウイングが言うのでますます笑った。驚かせて本当に申し訳ないと思うけど、そんなつもりはなかったのだ。
トレイルに犬を連れてくるハイカーというのは時々いて、シェルターで休んでいても不思議ではない。クマ避けになる、と他のハイカーから歓迎されることもあるくらいだ。大体、犬は外につながれる。今回は、我々が通ったのに近い側につながれていたのだと思う。
あの男は犬の飼い主なのか、たまたま一緒に泊まったハイカーなのか。いや待てよ、そんなことよりヤツはクマが来たと思ったのか、それともゴーストでも現れたと思ったのか?我々はひとしきり盛り上がった後、仕方なく重くなった腰を上げた。なんだかもう力が抜けちゃったけど、とにかくキャンプできる場所まで進まなければならない。
それから2時間も歩いただろうか。今度はATからは見えないくらい遠い場所に、またシェルターがあった。行ってみると中に何人か寝ている。我々はもう話し合いもせず、再びそこらの地べたにてんでにマットを敷き、寝袋を引っかぶって休んだ。もうフラフラだったから自分はすぐ眠り、目が覚めた時には中に寝ていたハイカーたちは出発した後だったようだ。どう思われたんだろう。

この一件でクソ度胸がつき、その後自分は何度もナイトハイクをすることになる。時には夜の空気をしみじみと味わい、時には距離を稼ぐためだけに無理をして歩き、時にはノリだけで行ったら無意味で疲れるだけの行為だったこともある。ただ、あんなに笑ったのはあの時だけだ。どんなに失敗しても自分がナイトハイクに懲りないのは、最初の体験が大きかったからとつくづく思う。


2016年9月11日日曜日

アメリカ・ロングトレイルにおけるナイトハイクの正当性

2012年夏、カリフォルニア北部にあるLassen Volcanic National Park(ラッセン火山国立公園)は大規模な山火事に見舞われ、公園内に立ち入り禁止区域が設定された。公園を南北に貫くPCTと、いくつものローカルトレイルがハイク禁止となり、それは鎮火後も「燃え残った木が倒れて人を巻き込んだりする危険がある」との理由で1年以上にわたって続けられた。
しかし実は鎮火直後の2012年8月に、立ち入り禁止区域の一部だけがハイクOKとされたことがある。その理由がちょっと面白い。禁止区域はかなり広めに取られており、これはレンジャーも人間だから、歩くのが大変なエリアはその外側をぐるっと車で回り、道路からトレイルに踏み込む部分に立て札やら黄色と黒のテープやらを設置していたからなのだが、「火山公園」らしくその中に岩と砂礫ばかりで樹木なんか全然ない場所も含まれていたのだ。管理の大変さを除けば、鎮火後にそのエリアを閉鎖し続ける理由はない。で、レンジャーたちは"Open for Full Moon"と告知した。つまり満月にあわせて週末だけハイクを許可したのだった。
月を愛でるのか、それとも明るいから夜のハイクを楽しみたいのか。ハイカーや、ハイカーがよく訪れる店の店員などに尋ねてみたが両方だと言う。どうもエリア内にある山の一つは樹木がないから見晴らしがよく、夕日や月を楽しむために登られるらしい。またアメリカ人ハイカーは一般に暑いのが嫌いで、夏場は喜んで夜歩く。それはそれで、一つのレジャーの形らしい。日本では、暗くなってから山道を歩くだけで危険だ無謀だ迷惑だ、と罵られることがある(必ずではないが)ことを考えると、大変な文化の違いがあると思う。いい悪いは別にして、アメリカではナイトハイクは別に珍しくもなんともなく、文化として根付いていると言える。
あくまで個人的な考えだが、ここに日本の山道とアメリカのトレイルの違いがあるように感じる。アメリカでは、山頂に至る小道も山腹を横切るルートもトレイルと呼ばれるが、それぞれが一本の線として捉えられる。だいたい、トレイルに名前があるのが普通だ。だから、日本の山では「(ここは)○○峠」とか「(あっちは)○○岳」というような標識しかないが、アメリカではその他に「(あなたが今歩いているのは)○○トレイル」というような標識があり、さらにそのトレイルを表すサインが道端の木や岩についていたりする。メジャーなトレイルでは、そのサインを辿ればまず迷わない。あのシステムに慣れてしまうと、日本の山道はなんと分かりにくいのかと思ってしまう。何しろ、山道の交差点に差し掛かるたびに地図を出し、こっちは稜線へ向かうがこっちは沢へ下るのだな、などとやるのだ。アメリカなら交差点に何本トレイルがあろうと、使いたいトレイルのサインがある一本を選ぶだけで良い。
だから、暗い中で歩くと、つまづいたり高所から転げ落ちたりする可能性は当然あるわけだが、アメリカのメジャーなロングトレイルでは「道に迷うことが少ない」という点がかなり安全を担保してくれる。危険だからと非難されることもない。暑い時期に涼しい空気の中を歩く、というのも、やってみると実に気持ち良い。一つの文化として自分はちょいちょい楽しんできた。もし「山を夜歩くなんて!」と思う方がいたら、そういう文化的なバックグラウンドの違いがあるということをご理解いただきたい。