2015年12月24日木曜日

2010年のストーブ談義

2010年、AT(アパラチアントレイル)を歩いていたときの話。

ATでは、シェルターと呼ばれる簡易的な山小屋に泊まることが多い。

その日シェルターに顔を揃えたのは、ダーティ・サーティー(汚い30歳)、ニンブルフット(快足)、そして自分=ワンダラー(優柔不断)の3人である。
すでにトレイルで何度も追い越し追い越され、街に下りては乾杯してきた仲だった。気使いする必要もなく、荷物を開いて寝場所を定め、それぞれ夕食の支度にかかる。

ふと目をやって、自分は思わず声を上げた。「ダーティ、お前そんなものを持ち歩いてるのか!」
そのストーブがあまりにも意外だったからだ。それはMSRのドラゴンフライだった。

ドラゴンフライは石油ストーブで、ガソリンでも灯油(アメリカではケロシン)でもイケる。だから世界中どこでも、街に出さえすればだいたい燃料が手に入る。
しかしデカくて重い。ダーティは1ℓ近く入る燃料ボトル(金属製)を持っていたから、ストーブ本体と合わせて1.5kgはあったろう。これは、原野を旅しますとか10日間山の中で暮らしますとか、途上国でアウトドアに出かけますという場合の装備なのだ。
日本なら米を炊くのに使えるというメリットがあるが、アメリカの、しかもATスルーハイカーとしてはほぼありえない。4日も歩けば次の街だし、ほかの燃料も簡単に手に入る。
「なんでそんなの選んだんだ」と聞くと、ヤツは傲然と胸を張り言い放った。
「なぜかって?それは、『そこにあったから』さ」
MSRのドラゴンフライ。大きなナベが載せられ、火力の調整に長けるので、日本では米を炊くために持つ人も。

ダーティは身長が190cmちょい、体重も90kg以上ある巨漢だ。それも、筋肉がしっかりついているタイプ。学生時代はアメフトかバスケで活躍したんじゃないのかと聞いたら、父親が日本の米軍基地で働いていたため、ヤツは幼少期を日本で過ごし、最初に触れた球技はサッカーだったという。
高校に入ったころアメリカに戻ったので、ほかは馴染まなかったらしい。ただ、日本で少し柔道を習ってきたので「それはレスリングの役に立った」そうだ。レスリングはアメリカの国技とも言われるほど盛んなスポーツで、ほとんどの高校生は授業で体験させられる。同級生は災難だったろう。

そしてヤツはアウトドア経験が豊富というわけでもなく、ATのスルーハイクに挑戦してみようと思い立ってからアウトドアショップに行き、その場の有り合わせでギアを揃えたそうだ。実はこのころ、知り合ったハイカーの間で、ダーティのギアはちょっとしたネタになっていた。
体力に自信がある彼のチョイスは、軽量小型をまるで気にしないものだったからだ。本人もだんだん気がついてきて、周りと道具を比べては「なぜそれを」という話題になるのがしばしばだった。そしてヤツは「重さはそんなに気にならないな」とか言いながら、スルーハイク中に少しずつ「軽くて小さいもの」に買い替えていった。

この時も、「じゃあ、お前はどんなのだ?」となった。気になるか、と笑いながらこっちのストーブを見せてやる。
自分はスノーピークのストーブを使っていた。日本でOD缶と呼ばれる、ドーム型のLPガス缶を使うものだ。アメリカではキャニスターと言う。
別売りの風防は重いが、悪天候を考えると持ちたい



スノーピークのキャニスターストーブ、ギガパワーチタンストーブ"地"












近年、このタイプのストーブがどんどんシェアを広げている。小型で軽量、使い勝手はほとんど家庭のガス並み。ホントはいけないけれど、いざとなればテントの中でも使えるくらいの手軽さだ。
問題は、アウトドア用品を扱う店でしか燃料が手に入らないこと。日本では、カセットガス用の円筒型ガス缶のほうがはるかに手に入りやすい。また、アメリカではキャンピングギア大手のコールマンが独自のガス缶をずっと前から売っていたこともあり、なかなかOD缶が普及しなかった。
そういえば日本のアウトドアショップではOD缶について、ストーブメーカー純正のガス缶を使うよう言われる。アメリカの店員は「これは規格品だ。どこのガス缶でも接続できる」と断言する。独自形状じゃない、が売りになっているのだ。

ところで自分のストーブには「イグナイター」が付いていた。電子ライターと同じ仕組みで、押せば火花が飛んでガスに点火してくれる。
便利だが壊れることもあるので、ユーザーの評価はまちまちだ。この時も、歩き始めて2週間ほどで点火できなくなった。
自分はそれを「トレイル・デイズ」に持ち込んだ。ATがど真ん中を通る山あいの町で、年に一度開かれるハイカーのお祭りである。
メイン会場の広場には多くのアウトドアショップやブランドが出店を並べ、ちょっとしたギアの故障ならその場で修理してくれたりする。バックパックのほつれなどは、購入した店に関係なくすぐに縫ってくれる。ほとんどは(簡単な修理なら)無料。
期待して行ったのだが、運悪く「分かる人」が見あたらなかった。スノーピークのストーブはアメリカでもかなり売れているが、詳しい店員ばかりじゃない。
で、「あそこ行ってみな!ストーブのメーカーだし」とアドバイスされて向かったのは、MSRのブースだった。

受付に出てきたお姉さんに、「よそのブランドですまないが、コレ直らない?ちょっとした調整で済むと思うんだけど」と持ちかけてみた。
彼女はストーブを手に取り、しげしげとそれを眺めた。誰かを呼ぶのか、それとも彼女自身が、工具でいじってみてくれるか・・・。
と思っていたら、彼女は突然ゲラゲラ笑い出して言った。「忘れなさい!あなたは買う道具を間違ったの。コレは『壊れるようにできている』のよ!」
こっちは苦笑いだ。ちょっとだけどタダを期待した身でずうずうしいが、日本じゃ考えられない対応である。「いや、壊れやすいのは分かるんだけど」と粘ってみる。
「火花は飛ぶのに点火しないんだ。パーツの交換が必要ならさすがにあきらめるけど、簡単に直るかもしれない」とさらに押す。
しかし彼女は強気だった。最早手に持ったストーブを見もせず「無駄よ!必ず壊れるわ。だから、ウチではこのパーツ(イグナイター)つきの製品は出してないわ。それが正しいのよ」。
何も知らないシロートに教えを垂れてやる、と言わんばかりの笑顔を浮かべて彼女は胸を張った。「あきらめて、ライターを持ちなさい。みんなそうしてるわ!」と畳み掛けられ、撤退せざるを得なかった。

彼女の言説はいくらなんでも極端だと思うが、この体験は自分にとっても考えを改めるきっかけとなった。
壊れるかもしれない、と思いながら数ヵ月も歩く(=暮らす)のは無理がある。ライターなら安物でも滅多に壊れないし、壊れてもすぐに買い替えができる。分解だのパーツ取り寄せだのといった事態に追い込まれることもない。
自分はイグナイターをあきらめ、ほかの多くのハイカー(「みんな」ではないが)と同じように、ライターを2個持ち歩くようにした。壊れても平気。安心感というのは重さや使いやすさと同じくらい、ギア選びの大事な要素となるようである。


ダーティにひとしきりLPガスの使い勝手を説明した後、「ニンブルフットは?」と聞いてみた。自分も興味があったのだ。
すると「ワシか?ワシはアルコールだ。壊れないし、軽いからな」という。
彼のストーブはトランギアだった。

ニンブルフットは「待ってました定年」の男である。そこそこハイク経験もあったが、数年前にATを長距離ハイクしてみて「いける」と踏んだらしい。と言うか、途中で止めるのが悔しかったようだ。そして65歳で定年退職し、春が来たと同時にスルーハイクをスタートした。

アルコールを使った簡易的なストーブは、アメリカのロングトレイルで実によく使われる。理由のひとつは、アルコールが手に入りやすいからだ。と言ってもアメリカでも日本と同じく、医療用のアルコールはそこそこ高いし、ドラッグストアでしか手に入らない。
ところが自動車大国のアメリカでは、ガソリンエンジンの水抜き剤として、全国どこでも安いアルコール(エタノール)が手に入る。目的外使用だが、コレがアウトドア用として売られているエタノールより純度が高い。おかげで、アルコールストーブは安価かつ手軽の地位を保っている。
昨今はインスタント食品の普及で、ストーブは「お湯さえ沸かせられればいい」ようになりつつある。
「コレで十分だよ。沸騰がたった2分?1分?いらないね。ワシは待てる。急がないからな」

ガソリン水抜き剤「ヒート」。隣は500mlのペットボトル。
トランギアのアルコールストーブ
















彼はLPガスとの対比について言っているのだった。近年、沸騰の早さを売りにしたジェットボイルのストーブが大変な人気なのだ。
本体は少し重いが、ガスが節約できる。だから燃料缶をいくつも持ち歩かなくていい。
他のLPガスストーブも「大火力で沸騰が早い」ことを競っている。しかしニンブルフットは、そんなことに興味はないと言っているのだ。

彼は、石油ストーブの経験があった。正確には彼は使っていない。数年前のATで、彼はとある女性とコンビを組んだというのである。
トレイルを何日も歩いていると、同じ方向に同じくらいの速さで歩いている同士で仲良くなる。「一緒に歩こうか」というのもよくある話だ。
時にはそれが男女の2人組だったりもする。それで付き合ったり結婚しちゃったりするのもいるけれど、互いを尊重して「いい距離感」のままのもよく見かける。荷物を分けて持てるので、一人とはまた違った計画が立てられるのである。

「ワシらはいいコンビだったよ。彼女は非力だがトレイルでも料理がしたくて、重たい石油ストーブを持ち歩いていた。ワシはストーブを持たずに食料を2人分運んで、キャンプサイトに着いたら彼女に渡すのさ」
そう言って彼は茶目っ気たっぷりにウィンクして見せた。つまり料理は任せっきりだったのだ。彼はいつも冗談を飛ばすが、下品に流れることはない。なかなかモテるおっさんなのだ。



さて、それぞれに自分のストーブを説明しあい、良い点悪い点を散々議論したあと。結局我々は盛大な焚き火をした。理由はホットドッグだ。
この前トレイルが道路にぶつかったとき、コンビニで食料が補給できた。しかし、チーズやジャーキーなど欲しかったものがなく、自分は試しにホットドッグ用のソーセージを買ってみたのだ。
「重いんだ。みんなで今夜、食っちまわないか?」と2人に聞くと、ニンブルフットが「ケチャップとマスタードならあるぞ」ときた。街でファーストフードに寄った時、小袋をキープして持ってきたというのだ。
ここで2人は面白いことを教えてくれた。アメリカでソーセージを木の枝に刺して焚き火で焼いたものが「本物のホットドッグ」だというのだ。「コンビニのなんかはニセモノだ。焚き火で焼いたものこそ本物だ」と言う。しかも、たとえパンが無くても、ソーセージを焚き火で焼いた時点でそれはもうホットドッグなのだそうだ。
そうと聞いてはやるしかない。自分は薪を拾いに行き、2人はナイフを持って茂みに向かった。アウトドア大国のアメリカでは誰でも子供のころ、キャンプでソーセージを焼く経験があるらしい。彼らは串にする枝のチョイスにも一家言あるのだ。ソーセージは必ず縦に刺す。だから真っ直ぐで細い枝がいいのだが、単なる若くて細い枝はしなって使いづらい。こだわりの枝を選んでもらった。
無駄に大きな火をおこし、我々は賑やかにソーセージを焼いた。ロングトレイルを長期間歩いていると、どうしても食事がインスタントになりがちで、「キャンプの楽しさ」を味わう夕食はあまりない。
食べ終わって「ソーセージ、ありがとうな」とニンブルフットが言ってきた。
「こっちこそ。コレはオレの、初めての『本物』だったんだ。『ホットドッグ・バージン』をありがとう!」と返してやると、「ホットドッグバージンか。そりゃいいや!」と彼は笑った。

火の始末をして、みんな寝袋に潜った。暑くて寝苦しい夜だったが、後々までよく覚えている楽しい思い出になった。

ちなみにダーティは次の次くらいに寄った街で、早速キャニスターストーブを購入し、重たいドラゴンフライから乗り換えた。選んだのはMSRのポケットロケット。他社のキャニスターストーブより少し重いが頑丈で、イグナイターは付いていない。そして何よりもそれは「そこにあった」のであった。




0 件のコメント:

コメントを投稿