2017年5月28日日曜日

ハイカーの話(テンゾ)

ハイカーの話(テンゾ)

スルーハイカーは、実はロングトレイルではマイノリティだ。しかしうっかりするとスルーハイカー同士ばかりで仲良くし、狭い人間関係に陥ってしまう。
ロングトレイルには、もっと本来の意味でのハイカーがたくさんいる。今回はその、セクションハイカーの話。

テンゾ(Tenzo)と会ったのはノースカロライナかテネシーあたり、ATの南の方だった。彼は朝食の席で「それで、キミは日本人なのかね?」と話しかけてきたのだ。ATには「シェルター」と呼ばれる簡易的な山小屋がたくさんあり、シェルターはよくピクニックテーブルを備えていて、食事時ともなれば順番待ちになる…ああ、野外でイスとテーブルが使えるというのは、なんと素晴らしいことか!
そしてそこはアメリカ、食事の席は社交の場でもあるのだった。見知らぬ者同士は自己紹介して挨拶し、親交を深めるのがマナーなのだ。だから、話しかけられたこと自体は驚くことじゃない。
しかし「そうだけど、どうして?」と聞き返すと彼は「キミのラップトップを見たんだ。すごいねあれ」と答えたので笑った。そんな控えめな反応は初めてだ。
自分はこの時、SONYのVAIO type Pを運んでいた。ジーンズの尻ポケットに入る、という衝撃的な広告で世に出た長細いノートPCだったが、本体が600gもないのに充電アダプタが200g近くある、時代の一歩先を行ってしまったソニーらしい残念な製品だった。それはともかく、自分がシェルターなどで日記でもつけようかとコレを開くと、近くの誰かが「おっ、スゲーな」などと言って寄ってくるのである。そして「持っていいか?お〜軽い!これなら運べなくもないな!なあ、俺はニホンゴの入力に興味があるんだけど、ちょっとやってもらえないか?どうやって打つんだ?おお、なんだこのキーボードは!なあ、どうやって使うの?えっ?アルファベットでもできる?どういうこと?とにかくニホンゴ出してみせてくれ。おおおお〜なんだこれ!ヘイみんな!来てみろよ!」とかなってしまい日記どころじゃなくなるのだ。自分はだんだん人から離れてコソコソとPCを使うようになり、そのうちPCが不安定になり動かなくなってしまった。確かこの日は早朝からシェルターの外で密かにPCを開いたのだが、日記をつけるところまで辿り着かずに不安定なPCと闘い、結局諦めてメシにしたのだった。
「まあね。ああいうの、見たことあるの?」と推察して聞くと「ああ、ムスメが日本人と結婚してね。日本に行ったことがあるんだ」という。なるほど。
そこでお互い自己紹介したのだが、彼は「私はテンゾというんだ。この名前は、ちょっと日本と関わりがあってね…」と思わせぶりに名乗ってきた。
ロングトレイルでは、ハイカーはトレイルネームというアダ名を使うことが多い。歩く期間が長ければ長いほどそうで、自分は仲良くなったハイカーの本名をほとんど知らない。テンゾという言葉の響きも、英語らしさは全くない。でも、何だろう?と訝しがっていると「この名前は、あるゼン・テンプルのホステルでもらったんだ。私は以前、ピッツバーグでシェフをしていてね。ゼンの世界では、シェフのことをそう呼ぶんだろう?」といたずらっぽく片目をつぶって見せた。え?
「えっ、ちょっと待ってくれ。テンゾって、てんぞ(典座)のこと?そんな言葉、日本人だって滅多に知らないよ!」というと「そうなのかな。でも、とっても気に入っているんだ!」と彼は満面の笑顔を浮かべた。
ややこしいから説明を交えてしまうけれど、まず世の中には「ホステル」と呼ばれる宿がある。日本ではユースホステルが突出して有名だが、ユースホステル協会に加盟していなくてもホステルはホステルだ。一部屋にベッドがたくさんあって見知らぬ同士が一緒に泊まり、トイレやシャワーは共同で使う。だいたい共同のキッチンがあって料理もできる。自分のような、ビンボ…じゃなかった節約旅行の経験が多ければ、まず必ずお世話になるタイプの宿である。
ここで面白いのが、アメリカはキリスト教社会であるということだ。この国には「困っている人を助けてやろう」という精神があるのである。そして、そもそも教会というところは、巡礼者を始めとして旅人を泊めるシステムを持っているのだった。するとどうなるかというと、ATのようなメジャーなロングトレイル"沿線"の街では、教会がハイカーの宿をホステル形式で運営している例が結構あるのだった。どれも商売性ゼロの格安で、運が良ければ無料の食事と、ありがたいお話が付いてきちゃったりする。
そしてテンゾが言うには、CT(コロラド・トレイル)にはゼン・テンプル、つまり禅寺が運営するホステルがあるらしい。そして、そこで料理の腕を振るってみせた彼は「オー、ユー・アー・テンゾ!」と坊さんから命名されたとのことだった。自分の印象では、典座というのは何十人も坊さんがいる禅寺での料理長に当たる、まあまあエラい人なのだが。禅寺がハイカーを泊まらせている、というのは時々聞くウワサだったが、具体的な話が聞けたのは初めてだった。教会がやってるんだから寺も、ということで、案外みんな不思議に思わない。
テンゾの娘さんは関西圏にいるようで、彼は日本に行った時ブリット・ライナー(弾丸列車。新幹線のこと)に乗ったという。窓から富士山も見えたそうで「完璧なフォルムだ。美しいね!」と嬉しそうに言った。
我々は、色違いの同じジャケットを着ているのに気づいて笑いあった。それはモンベルのサーマラップジャケットで、見た目は軽量ダウンジャケットなのだが、実は中綿が化繊で、濡れてしまってもかなり体温を保つのである。「ATは雨が多いからね。コレは濡れても温かくて、それなのにすごく小さくなるし軽い。素晴らしいよ!」とテンゾは盛んにそのジャケットを褒めた。かなりの日本び
いきだ。
彼は「キミに良いものをあげよう」と言ってプラスチックパックから何かを出してきた。見るとそれはスティック状の袋に入った粉末飲料で「Green Tea」と書いてある。「キミにはこれが必要だろう!」と力強くいうのだが、よく見ると「Lemmon Flavour」とある。うん、アメリカ人にとっては、緑茶も紅茶もお茶なのだった。
テンゾとはそのあと何回かシェルターで一緒になった。彼はいつも朝早くに出発し、午後の早い時間にはキャンプを定めていた。こっちはまるきりの行き当たりばったりで、そのうち彼がどこにいるのか分からなくなってしまった。セクションだから、どこかの目的地で彼のハイクは終わるのだ。
こうして多くのハイカーとトレイルネームを名乗り合い、少しだけ親交を深めながらそのうち別れるのを繰り返して、スルーハイカーは毎日進んで行く。その、もう二度と会わないかもしれない相手たちを思い出す時、思わずちょっと切ない気分になる。それもまた、長期間にわたるハイクの味わいの一面である。

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