2017年4月15日土曜日

ハイカーの話 モーホーク(Mohawk)

2010年、AT(エーティー)を歩いていた時の話。自分はモーホークというスルーハイカーに会った。
正確には、会った時にはまだ「モーホーク」じゃなかった。ヤツとはスタートもゴールもほぼ同じで、何度も追い越し追い越され、仲良くチームを組んで歩き、街に降りてはパーティと称して大騒ぎし、別々に歩いては再会を祝して乾杯し…ATを歩いた約半年の間、自分と最も親しくしたハイカーと言ったらモーホークだろう。
日本で言うモヒカン族とその髪型は、アメリカではモーホークと呼ばれる。アクセントは最初のモで、あの髪型にしたら大体このアダ名になる。日本では「コング」と呼ばれている、特攻野郎Aチームの黒人の大男(演ずるのはMr.T)も、アメリカでの呼び名はモーホークだ。
アパラチアントレイル、通称ATは全長約3,500kmの超ロングトレイルである。「野外を歩いて、キャンプして、また歩く」のがアメリカのハイカーだが、ATを端から端まで歩こうと思うと数ヵ月はかかる。この「スルーハイク」は近年、もう一種のお祭り騒ぎ化していて、もちろんストイックに自然と向き合うハイカーも多いが、逆に「せっかく一般社会を離れるんだから、いっちょモヒカンにでもしてみるか」とかいうヤツも必ずいる。自分が歩き始めてしばらくしたころ、同じ方向に歩いていてすでに親しくなっていたハイカーの1人が、アタマを刈って周囲の爆笑をとった。そしてヤツは「モーホーク」になったのだった。

ヤツとの思い出は数え切れない。歩き出して2日目の夜、まだATが、スルーハイクがどんなものかわからず不安にくれたハイカーたちがキャンプサイトに集まり、焚き火をおこして雨でずぶぬれになったブーツを乾かしながらこの先のことを話し合った。たぶんそれがヤツを認識した最初だ。2週間もすると、我々は道路の近くでキャンプしたとき、面白がってわざわざピザのデリバリーを携帯で注文し「デカいのシェアしようぜ」と言い合うくらい仲良くなっていた。真夏のある日には「こんな暑いのに山なんか歩いてられるか!」と降りた街でレンタカーを借り、ヤツを入れて4人で7~8時間もドライブして海へ行った。ヤツの誕生日には街で仲のいいハイカーが大集合し、我々ははしゃぎすぎてホテルの部屋を完全に破壊してしまい騒動になった。エピソードは尽きないが、実は自分が「ATで、モーホークってハイカーと仲良くなってね」とヒトに語るとき、それはヤツが自分と一緒にいなかった時の話になる。

メインの森を行くモーホーク。髪はくしゃくしゃで、モーホーク・カット(モヒカン)にしても威圧感はなかった。
ATに「バードケージ(鳥かご)」と呼ばれる場所があった。コレは少し説明が必要だ。ATは超有名ロングトレイルであり、毎年たくさんのハイカーが訪れる。みんな数日に一度は街に降りるが、山の中だから当然サービスは限られていて、食糧補給やら宿泊やらで困ることも多い。すると、ハイカーをちょっと助けてやろう、という地元の方たちが現れる。我々ハイカーは、こういう人たちを「トレイルエンジェル」と呼んでいる。とある田舎町でロブ・バードという男が、ハイカーたちに「地下室に泊まっていいぞ」と自宅を開放したら毎年それが定番になった。それが通称バードケージだ。
実は近所にもう一軒、ハイカーに宿泊を許しているトレイルエンジェルハウスがあった。だがそちらは禁酒・禁煙・禁大麻で、静かにゆっくりしたいハイカーはそっちに泊まるらしい。自分はタバコは吸わないが、なぜか仲のいいハイカーはほぼバードケージ泊まっていた。ワルそなヤツは大体友達、といったところか。
ちょっと面白いのが、バードケージの場所は公になっていなかったことだ。ハイカーは他のハイカーから噂を聞いていくしかない。自分が歩いた年は、街のある場所に行って「ハイカーだ。バードケージに行きたい」と申告すると、そこから電話が行って迎えが来るようになっていた。なぜこんな、と聞いたらロブは「一度にハイカーが40人も来たことがあってな。40人だぞ!俺は、洗濯してやるだけで精一杯だった・・・・・・他に何もできなかったんだ。それ以来、このシステムにしている」と言っていた。つまり人数もさることながら、ハイカーは誰にでも場所を教えて良いわけではない。相手を選んでくれ、ということだった。
自分が行ったとき、もうモーホークは去った後だった。この時自分は10日くらい遅れて歩いていたので、もう追いつけないかと思っていた。だが2日ほど前までヤツはいたという。えっ?と思って確認したら、ロブは「1週間もいたぞ。面白いヤツだったな」と笑った。何があったのか。
モーホークは靴を新調したらそれが足に合わず、とんでもないことになったらしい。"My blisters got blisters(マメにマメができたぜ) !"とヤツは言った。もうまともに歩けないという状態でなんとかバードケージにたどり着き、ネットで「以前に使っていた、自分のサイズがわかる靴」を取り寄せ、歩けるようになるまでロブの厄介になったということだった。
ロブはだいたい1日に一回、車でハイカーたちを近所のショッピングモールに連れて行ってくれた。外食ができるし、靴やら服やら雑貨やらをちょっと買い換えられる貴重な機会だった。戻ったらシャワーを浴びて洗濯して、地下室にたくさん転がってるマットレスに自分の寝袋でぐっすり眠り、荷物をパッキングして出て行く。普通ならせいぜい2泊までだ。
ロブは宿泊料を取らない。エンジェルによっては、今後もハイカーを受け入れられるようにと小額の「寄付」を受け付けているし、ハイカーも当然のこととしてそれを払う。だがロブは「俺は定年してヒマなんだ。若いのが来て、結構楽しくやってるよ。カネは不要だ」と言うのだった。年金で十分やっていけるらしい。不公平になるからと、特別に一人から貰ったりしないのだ。せいぜい「ソーダ」代(冷蔵庫に炭酸のジュースが常にぎっしり入っていて、ハイカーは勝手に飲んでよかった)だけだ。だがそうなると困るのが、人一倍世話になってしまったハイカーである。お礼はしたい。だが、受け取ってもらえない。
そこでモーホークはどうしたか。ヤツは街で唯一のベーカリーに行き、クッキーやらマフィンやらが並んでるガラスケースを指差して「一番上の棚の、全部くれ!」と叫んだという。そして紙箱をいっぱいに抱えて戻り、バードケージのテーブルの上に残してきた。「ロブか、他のハイカーか。誰かが楽しんだろ。俺はそれでいいよ」だそうだ。
自分はその話を、久しぶりにヤツと会ったトレイルの上で聞いた。とりあえず荷物を道端に転がして地べたに座り込み、スナックと水で休憩しながら「で、どうしたよ?」などと話したのだ。再会はうれしかったが、聞いた途端にちくしょう、イキなことしやがって!と思った。自分はこのとき37歳、モーホークは26歳。一回りも下の若者の振る舞いに、正直言って自分は嫉妬した。何ヵ月も歩いていると、いろんな人にいろんな形で世話になってしまう。オレもこのくらいスマートに返せればなあ、とつくづく思った。
あれから何年も経ち、自分はずいぶんアメリカを歩いた。だが未だに、あのときのモーホークのことをよく思い出す。あのレベルに達した気がしない。世話になったところでスマートにお礼を、と思うのだが、どうにも上手くお返しができないのだ。いつか自分も仲のいいハイカーに「この間、こんなことがあってね・・・・・・」と自慢できるような、カッコいい振る舞いがしてみたいものだ。そう思いながら今年も、自分はアメリカへ旅立つのである。



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