2016年9月12日月曜日

初めてのナイトハイク

2010年、ATを歩いていた時の話。
たしか15時を少し回った頃、自分はトレイルの分かれ目に差し掛かった。右に数百メートル行くとシェルターがあるはずだ。まだ泊まるには早いが、水場がある。ちょっと寄るかな、とそっちへ行ってみた。
シェルターに近づくと、にぎやかというか少し騒々しいくらいの声が聞こえてきた。自分のように長距離歩いて通過中のハイカーではなく、地元の若者が遊びに来ているようだった。だが、聞いたような声が混ざっている。
木々の向こうに人影が見えてきて、思わず声をかけながら踏み込んだ。「なんだ、お前らもう戻ったのか!」
知らない、そして小ざっぱりした格好の若者たちにまぎれて、仲の良いスルーハイカーたちがいたのだ。モーホーク、ホットウイング、ヘミの3人で、ヤツらとは2日前に別れたばかりだった。
アメリカのホテルにはダブルベッド、それもクイーンとかキングサイズのでかいやつを2台入れた部屋が結構あり、4人いるとシェアして安く泊まれる。もちろん、仲良く1台のベッドに2人ずつ寝るのだ。これが定着してきて、ここしばらく我々は4人でまとまってハイクしていた。
が、そのとき彼らは突然トレイルで
「ここから街に降りる」
と言い出したのだった。前日にちょっと道路と交差した時、食料は補給できたのだが、どうもそれでは不満だったらしい。
「街って、この右上の?どうやって戻るんだ?」
と自分は地図を指して聞いた。地形から考えると、それはかなり無理があった。
「街から北に出る道路がある。そこからローカルトレイルを使ってATに戻るさ」
とモーホーク。確かに、地図を見る限りそれは可能だ。だけど・・・
「20マイル以上スキップすることになるぞ」

自分はこの時期、ハイクのスタイルについて少々悩んでいた。せっかくアメリカまで来て、憧れのATを歩いているのだ。こちらとしては、ATを1メートルたりとも飛ばしたくはない。ところが仲の良いハイカーたちはみんな、あっちが面白いとかココは大変だとか言って、平気でルートを変えるのだ。
トレイルを純粋に楽しんでいる奴らを見て、自分の考えがつまらないこだわりに過ぎないのではないかと疑い始めた頃だった。

「街に降りられるんだ。そのくらい良いさ!」
「お前はどうするんだ?」
と、実に楽しそうな顔で言ってくる彼らに心が揺れたが、そこは自分を貫いた。
「なあ、オレは日本からわざわざATを歩きに来たんだ。サイドトレイル(横道)や道路を歩きに来たんじゃあない。食料は十分あるし、このまま進むよ」
そうか、分かるよ、と言うと、モーホークは地面についていたトレッキングポールの先を少し浮かせてこちらに向けた。ん?と思ったが、すぐに察して自分もポールを向け、互いの先端の少し上をガチンと打ち合わせた。拳を打ち合わせる挨拶の代わりだ。こういうノリが合うというか、説明無しでも意図が通じるところが、ヤツらとつるんでいた理由だろう。寂しくなるな、と思いながら自分は一人で先へ進んだのだった。


だから、再会は素直にうれしかった。若者たちにスルーハイクを自慢していたらしい3人に街の様子などを聞き、水を汲みに来ただけのはずがすっかりこっちも休憩モードだ。
ビールいるか、とモーホークが聞くので、もちろんと答えて即座にもらう。ビールは重い。入山したら即消費、が我々の鉄の掟だった。遠慮は無用だ。
「ちょっとキャンプには早いんじゃないか?」
と缶を開けながら確認してみる。一緒に歩きたいから、予定を知りたかったのだ。
「ああ、ちょっと”プラン”があってな」
と、ビールを飲みながらモーホークが言う。
「プラン・・・?」
自分もぐびりと飲む。もう、すぐ歩くつもりはない。
「オレたちこれから少し寝て、そのあとナイトハイクするんだ。一緒に行くか?」

チャンスだ!
自分はナイトハイクをしてみたいとは思っていたものの、外国だし何があるか分からないし、と尻込みしていたのだった。 最高のタイミングだ。
「いいねえ行かせてくれ!言っておくが、オレは夜歩いたことはないんだ。リードしてくれ」
 そうかそうかと3人は盛り上がり、自分も加わってシェルターに泊まる若者たちに「スルーハイクという大冒険」の自慢話をひとしきり聞かせてやった。そしてそのへんの地面にマットを敷いて寝転がり仮眠を取った。起きたのはもう23時近くだ。
 
寝静まったシェルターに気を使い、そろそろ行くかとささやき合って4人は移動した。ATに着いた(自分にとっては「戻った」)ところで改めて荷物を背負いなおし、ヘッドランプをつけた顔を突き合わせた。
「OK。ユー・ガイズ、レディ?」
「ヤー。レッツ・ゴー!」
「ライドオン!」
「ロックンロール!」
威勢よく声をかけあって、まずはタフなホットウイングが先頭を切った。モーホーク、ヘミと続き、初心者の自分はしんがりを務めた。というかついて行くのみだ。

歩き始めてしばらくすると、モーホークが立ち止まった。ヘミはそのまま追い抜き、自分は追いついたところで止まって聞いた。
「どうした?」
「ロックス(石だ)」
と言ってヤツは立ったまま靴を逆さに向け、小石を出す姿勢を取った。暗いから石が落ちたのかは見えなかった。もしかすると、ヤツは遅れがちな初心者に気を使って、ペースを落としてくれたのかもしれない。このあと、前の2人と少し距離が開いたが、自分はモーホークと声を掛け合いながら進んだ。
気がつくと月が出ていた。ちょうどトレイルが東を向いていたので、我々は月に向かって歩くのだ。さやさやと風が梢を揺らす音、遠くから響く鳥の声が、小さいのにやけにくっきりと耳に届く。新鮮な体験だった。
前2人が休憩で座っているところに追いつき、どうする?という話になる。もう真夜中を過ぎていたが、体力的にはまだ行ける、となった。やってみて分かったのだが、自分は目が悪いこともあり、暗い中を歩くと地面に確実に足が下ろせず、少し高い位置から探るような気持ちで踏み下ろすようになる。コレが結構体力を使うし、地面の高さを読み違えるとドスンと足を落とすことになり、あまり長時間歩くと痛めてしまいそうだった。オレは2時くらいまでならいいかな、でも5時までとかは無理だと伝えておく。無理は禁物だ。
スナックと水を補給して再出発。トレイルは茂った森に入り、向きも変わったようで、月は時々見えるくらいになった。
トレイルの分かれ道があった。すぐ近くにシェルターがあるのだ。ヘッドランプで照らすと壁が見える。昼間に寄ったところと違い、こんなにAT本線に近い場合もあるのだ。我々はもっと進むと決めたばかりだったから、全員黙って通り過ぎた。寝ている人もいるかもしれないし、なるべく静かに・・・
と思ったら、突然
「ワワワワワオン!ワンワンワン!ワオオオオーン!」
と犬の鳴き声が響き渡った。思わずビクッとなる。何しろ真夜中だ。とにかく驚いた。
しかし、もっと驚いた人がいたらしい。今度は人間、おそらく男の絶叫が
「ア゛ア゛ア゛ア゛オオオオアアアアーーーーーア!!アアァァアーーーーッ!アアアオア!アアッ!」
ときた。闇を切り裂いて、という表現があるが正にそんな感じ。自分はあれほどの恐怖に満ちた叫びを、どんなサスペンス映画でも聞いたことはない。聞いたこっちの心臓まで止まりそうだった。
我々は思わず一瞬立ち止まり、小声で
「ヤバい、逃げろ!」
と言い合って早足でそこを去った。
歩きながら驚きの動悸が治まってくると、だんだん笑いがこみ上げてきた。見ると、前を行くみんなも明らかに笑ってる。
いい加減進んだところで、トレイル脇に平らな草むらがあった。誰が言うともなく足を投げ出して座り、顔を見合わせてクスクス笑う。そのうち、声を上げて笑ってしまった。
「ヤツは死んだな!」
とホットウイングが言うのでますます笑った。驚かせて本当に申し訳ないと思うけど、そんなつもりはなかったのだ。
トレイルに犬を連れてくるハイカーというのは時々いて、シェルターで休んでいても不思議ではない。クマ避けになる、と他のハイカーから歓迎されることもあるくらいだ。大体、犬は外につながれる。今回は、我々が通ったのに近い側につながれていたのだと思う。
あの男は犬の飼い主なのか、たまたま一緒に泊まったハイカーなのか。いや待てよ、そんなことよりヤツはクマが来たと思ったのか、それともゴーストでも現れたと思ったのか?我々はひとしきり盛り上がった後、仕方なく重くなった腰を上げた。なんだかもう力が抜けちゃったけど、とにかくキャンプできる場所まで進まなければならない。
それから2時間も歩いただろうか。今度はATからは見えないくらい遠い場所に、またシェルターがあった。行ってみると中に何人か寝ている。我々はもう話し合いもせず、再びそこらの地べたにてんでにマットを敷き、寝袋を引っかぶって休んだ。もうフラフラだったから自分はすぐ眠り、目が覚めた時には中に寝ていたハイカーたちは出発した後だったようだ。どう思われたんだろう。

この一件でクソ度胸がつき、その後自分は何度もナイトハイクをすることになる。時には夜の空気をしみじみと味わい、時には距離を稼ぐためだけに無理をして歩き、時にはノリだけで行ったら無意味で疲れるだけの行為だったこともある。ただ、あんなに笑ったのはあの時だけだ。どんなに失敗しても自分がナイトハイクに懲りないのは、最初の体験が大きかったからとつくづく思う。


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